離婚が決まっても、生活はつづく。
元夫に突然、離婚しようといわれたのが6月ごろだった。
その当時、私は元夫の叔母さんの看護生活を送っていた。元夫は小さいときに母親が家庭を捨てて出て行ってしまい、この叔母さんが母親がわりであった。
叔母さんは3月ごろにがんの末期と診断され、あと3か月しかもたないと言われてしまっていた。
大きな病院で手術をしたが、それは残りの人生を少しでも尊厳をもって生きるためのもので、治すためのものではなかった。
叔母さんは、とても生きたがっていた。でも日に日に弱っていってしまった。
その姿を見守ることは、元夫にとって大きな不安であっただろうと今なら想像できる。当時は彼を気遣う余裕もなく、叔母さんの最期をどうやって受け止めたらいいか、私はただオロオロしていた。不安だったけれど、元夫から拒絶されていたので誰も頼ることはできなかった。
「この先どうなるんだろう」そんな気持ちで看病していた。今思うと恐ろしいほど儚い状況だけれど、その当時は日々やることと考えることがあるので儚い状況を自覚する余裕がなかった。かえって良かったかもしれない。
境地にあると、人は意外と冷静なのかもしれない。
7月に叔母さんは亡くなった。身寄りがなかったので、元夫が喪主となり葬式を挙げた。私はお金の工面や、葬式の段取り、後片付けまでやりきった。離婚は決まっていたし、夫婦として実体はなくても、喪主とその妻は完璧にこなすことができた。周りから見ても、どこもおかしくなかっただろう。私の両親も参列してくれていた。
その当時は仮面夫婦という言葉すら知らなかったけれど、家出をする10月までは、仮面夫婦であった。気持ちがなくても今までと同じように日々を過ごすことができる。それがずっと生活を共にしてきた、ということなんだろう。不思議でたまらなかった。
実感はなくても、日々は過ぎてゆく。周りに知られることもない。恥ずかしい思いをすることもない。
でも、そんな生活は続けられないと私は思っていた。現実と向き合わなければ。
この後、ものすごい現実と向き合うことになる。
その前に酒でも飲もうか。
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